株式会社平和カスケット
歴 史
大切な家族と社員の生活環境を守るために。 次世代に豊かな環境を引き継ぐために。
名古屋工場の外観
戦前、創業者 日比清一が、鋳造職人修行、技術習得のため、生家の岐阜県海津郡より名古屋まで自転車で通い、戦後兄弟で協力して名古屋市中区西川端町にて鋳造業として独立開業した。 製品は、ガチャコン手動井戸ポンプなど日常鋳造鉄器から始まり、昭和24年頃は自動織機ドビー機械部品を、昭和30年頃より、次第にトラップ、マンホール、排水鋳鉄管などの建築金物の製造が、主力製品となりました。
木材加工業のきっかけは、昭和34年に5000人の死者が出た伊勢湾台風でした。「モノづくりでお役に立てることは?」と思っているうちに、いつしか月日が過ぎた昭和40年に、鋳造業での木型製造の木製品加工技術を生かした葬送用木棺製造を木材事業としてできないものかと調査研究からはじまりました。その後、鋳造業を営みながら、地元愛知県にて少しずつ試作などを重ね製品開発を進めていきました。同じ頃、不動産部も立ち上げ、不動産の売買も始めました。
周辺土地の買い増しをして、鋳造工場移転のため、浄水町に工場を建設しましたが、折しも48年のオイルショックの影響もあり、なかなかうまく移転創業できませんでした。
そんな折りに地元愛知県には、葬送用木棺の量産工場がなく、関東や関西から買い付けており、「いざとなった時に心配」との要望もあり、一念発起し、本業の鋳造業は、兄弟に譲り、昭和50年より木材加工製造新事業部として葬送用木棺の全国販売へ新たな挑戦、再出発をしました。
その後、木材事業は葬儀業界の近代化に伴い、順調に発展し、昭和60年に関連会社“有限会社平和カスケット”として別法人会社の設立をしました。
平成7年の阪神淡路大震災の経験から万一の備えとして、平成9年9月1日の防災の日に、愛知県下に全国で初めての広域災害用備蓄棺1万本の備蓄事業に協力しました。使われないことを願っていましたが、 残念なことに平成23年3月の東日本大震災にて使用されました。
長久手町で開催された“愛・地球博”(愛知万博)にて地球環境問題を勉強する機会を得て、トライウォール社とのご縁ができ、「これからは、環境に配慮した素材による製品づくりの時代」であると思い、使用原材料として世界的には植林管理されたパルプ素材の利用、日本では森林間伐木材の利用などを開始しました。 木製品製造業として、地元地域間伐木材の積極的な使用など、従来使用されていなかった素材による製品の開発、製造をしています。
最近では地球にやさしい製品として、紙素材のエコ棺「エコフィン」はメディアの取材も受け、話題になりました。四国・四万十ヒノキ間伐木材を利用した、ひのき棺「ウイル」は、第5回ロハスデザイン大賞2010年モノ部門に入賞しました。
平成30年8月より、物流関係の輸出用木製パレット製作を次世代事業として新規に開始致しました。
有限会社平和カスケットと日比産業有限会社と有限会社ピースパンと有限会社風神花伝の4社が合併し、 株式会社平和カスケットとしてスタート。
特殊強化ダンボール「トライウォール」を主材にした「エコフィン」利用の取り組みを行っています。 「エコフィン」の利用により、燃焼時のエネルギー使用量と時間、CO2の排出量の削減に貢献します。 エコフィン1棺につき1本の植林寄付をし、モンゴルの火災跡地再生のための植林活動を行っています。